転職成功者インタビュー

タイガーグローバル株式会社
石嶺誠さん(仮名・生産技術) 39歳

「転機をチャンスに」 15年間で培ったスキルとポジティブさで、新たな道を切り拓く。

工業系のエンジニアからスタートし、工場長まで務めた15年間のスキルと経験を活かして、2022年8月にタイガーグローバル株式会社に転職した石嶺誠さん。

これまでに経験した2度の転職は、東日本大震災の影響、そして、新型コロナウイルス感染拡大に伴う業績悪化と、いずれも歴史に刻まれる二つの大きな事象を受けてのことだった。

個人の能力や努力ではどうしようもない現実に直面しても、「転機をチャンスに」とポジティブに捉え、新たな道を切り拓いてきた石嶺さん。これまでの仕事人生と、転職活動への向き合い方などについて話を聞いた。

※本記事の内容は、2022年12月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
2回
活動期間
エントリーから内定まで47日間

転職前

業種
FA装置のメーカー
職種
工場長
業務内容
製造および工程管理

転職後

業種
建設資材の製造業
職種
生産技術
業務内容
加工設備の自動化と改善

どんな時も「とりあえず」ではなく、理由や根拠を持って取り組むことを大切に。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

2022年8月、沖縄で建設資材や土木資材を製造・販売するタイガーグローバル株式会社に転職しました。

現在は、鉄筋を組む際に使用する鉄筋資材「上下らくらくスペーサー」という商品の、加工設備の自動化や改善を担当しています。より効率化を図り、生産性を高めるための取り組みです。

入社前のご経歴を教えてください。

生まれ育った沖縄で高校を卒業し、関東の大学に進学しました。卒業後は、機械の設置や製造に関わるエンジニアなどとして、2社で計15年働きました。

1社目は設備の設計を行う会社に5年間勤め、2012年に退職して沖縄に戻りました。その後、三重県のメーカーに再就職し、10年間勤務。三重での本社勤務を経て、2013年には沖縄工場の立ち上げと同時に沖縄勤務となりました。コロナ禍に伴う業績悪化の影響で、2022年7月に工場が閉鎖するまでの約1年は、工場長を務めていました。

大学卒業後、沖縄県外で就職された理由は?

高校時代から漠然と「自動車関係の仕事が面白そうだな」と思っていました。ただ、当時の沖縄には工業系の仕事は少なく、一度は沖縄を出て県外で働きたいと考えていました。大学で機械工学を学び、自動車関連の事業もしていた会社に入社。大手自動車メーカーの工場では諸機械を据え付ける設置の仕事を担いました。

ちょうど電気自動車に搭載するリチウムイオンバッテリーの生産設備を立ち上げる時期でした。ゴールを見据えながら、不具合の原因を探るアプローチの仕方など、多くのことを学びました。

1度目の転職のきっかけは?

2011年の東日本大震災がきっかけです。結婚して子どもを授かり、出産前という時期でした。関東に住んでいたので原発事故への懸念があり、夫婦で沖縄に帰郷することを決め、退職しました。

沖縄に戻り、経験を生かせる職種を探しましたが、思うような仕事がなく苦慮しました。そんな時に「翌年に沖縄工場を立ち上げる」という前職の会社に出会いました。「工場開設をゼロから関われる機会はなかなかない。面白そうだ」と思い、再就職。エンジニアとしてスタートし、退職前は工場長を務めました。

2度目となる今回の転職のきっかけは?

コロナ禍に伴う業績悪化で、沖縄工場が閉鎖になったのです。立ち上げから関わってきた工場が閉鎖するという事態は、正直とてもショックでした。

三重県の本社で働き続ける選択肢はありましたが、妻や子どもなど家族の生活のことを考えるとやはり、「沖縄で働きたい」と考え、転職を決めました。

仕事をする上で大切にしていることは?

前職ではコロナ禍の最中に工場長に任命されたので、「苦境を脱却するためにどうするか」が課題でした。正解もなければ一発逆転となるような「神の手」もありません。

営業職の社員と一緒に顧客の困りごとを掘り下げ、ニーズに合わせた製品を提案するなどのチャレンジを続けました。何をするにしても「とりあえずやる」のではなく、理由や根拠、知識や裏付けを持って取り組むことを、いつも心掛けています。

「生まれ育った沖縄に貢献したい」との思いを胸に、縁を大切にして変化を楽しむ。

転職活動はどのように進めましたか?

工場閉鎖を知った知人が連絡をくれ、リージョナルキャリア沖縄(運営会社:レキサン)の島村さんを紹介してくれました。その知人も転職の際にお世話になったそうです。私の職歴を踏まえ、すぐに3社を提示してもらい、そのうちの1社がタイガーグローバルでした。

今の会社に決めたポイントは?

再就職した2022年は、沖縄の「日本復帰50年」という節目の年。テレビ番組などで、戦後や復帰後に沖縄で各種事業を立ち上げた素晴らしい先人たちの存在を知るにつれ、「生まれ育った沖縄に貢献したい。沖縄の企業で働きたい」との思いが強くなりました。

また、現職と前職の工場は場所が近く、中には面識のある方もおられ、縁を感じました。

島村さんが「まず話だけでも聞いてみませんか?」と言ってくれたことも良かったです。いきなり「面接」と言われたら躊躇したかもしれません。一歩を踏み出すためのハードルを下げてもらえたと感謝しています。

転職していかがですか?

とても風通しが良い組織で働きやすいです。入社して数カ月の私でも、役職に関係なく相談や話がしやすい職場です。

職務面では、これまでの経験を活かせる業務内容に加えて、初めて向き合う商社的な仕事もあり、やりがいを感じています。当面は所属する課内の仕事をしっかり覚え、長期的には組織全体の業務を把握できるよう努め、仕事の幅を広げていきたいです。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

自ら望んで転職する人もいれば、私のように社会や会社の状況変化に伴い「やむを得ず転職」というパターンもあると思います。

変化することへの不安やためらいは誰にでもありますが、どこかで腹を括るしかありません。どうせ変わるなら、自分が縁を感じたところでベストを尽くせばいい。転職を一つの転機と捉え、転機をチャンスに変えられるようポジティブな転職活動ができるといいですね。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
島村 賢太

製造業のすそ野が広い沖縄県外では、引く手あまたの経験・スキルをお持ちの石嶺さん。しかし、沖縄県内はものづくり産業がとても少ないため、石嶺さんが腕を振るえる場所が非常に少なく、もったいないと感じていました。

そんな折、タイガーグローバル社の工場長とお話しする機会がありました。同社が抱える「設備の自動化」という事業課題に石嶺さんがマッチしていると感じた私は、その場でプレゼンテーションし、とんとん拍子に話が進みました。

石嶺さんのような素晴らしいエンジニアのキャリアを活かせる職場にマッチングできて、とてもホッとしております。「沖縄から世界へ」という熱いビジョンを抱いている同社で、ぜひそのお力を活かして組織を牽引してください。応援しています!

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